何時の時代でも子供は習い事に通うのが常ですね。
江戸時代では今でいう学校の代わりに寺子屋(てらこや)に通い、日々勉強をするのが日常でした。
そう考えれば子供がどこかへ通い、学ぶということは今と全く変わりませんね。
今日は寺子屋(てらこや)から草紙を下げて帰ってくる江戸時代の下町商店街に住む、ませた小娘の気持ちをよく表現した舞踊『手習子(てならいこ)』について紹介したいと思います。
Contents
手習子(てならいこ)の歴史
解題 | 杜若七重の染衣(かきつばたななえのそめぎぬ) |
初演 | 1792年4月 江戸河原崎座初演 |
種類 | 長唄 |
作詞者 | 増山金八 |
作曲者 | 初代杵屋正次郎 |
振付 | 二世西川扇蔵・松本五郎市 |
役者 | 四世岩井半四郎 |
日本舞踊の女形手ほどき曲の一部とされている『手習子(てならいこ)』。
歌舞伎踊り(かぶきおどり)
→関の小万(せきのこまん)
→羽の禿(はねのかむろ)
ときて次に習うのがこの『手習子(てならいこ)』なんですが、当流派七々扇流では一気に難易度が上がるので、幼き時期はよくお稽古しながら泣いたものです。
恋心をうまく表現して踊る必要があるので、芝居の要素がはいり難易度があがるのでしょう。
七変化舞踊って?
四世岩井半四郎が『杜若七重の染衣』と題し…
・『小町』
・『座頭』
・『汐汲』
・『浦島』
・『切禿』
・『石橋』
と共に七変化のうち一つとして『手習子(てならいこ)』を踊りました。
手習子(てならいこ)の舞台面は?
舞台面
宿近き春の野遠見。
春を感じさせる背景が基本となります。
その他町並みを描いた背景などいろいろ演出によって異なります。
小道具
・絹張絵日傘
・草紙
・懐紙(かいし)
・差金蝶々
傘を使って踊るほか、勉強の道具である草紙を使います。
その後の場面では蝶々と戯れる場面があるので差金蝶々やコヨリをつくるため懐紙も使います。
衣装
紫地の衣装が多い。
桜の花桜の散り模様などが好まれる。
襦袢は赤地。
引き抜きがある場合は明るい色の衣装になる。
手習子(てならいこ)とはどういった踊り?
少女のませた恋心をうまく表現した踊りとなります。
かなり古くからありますが今日まで残ってる理由は手ほどき曲であることはもちろん、唄の合間に『道成寺(どうじょうじ)』の文句をそのままはめ込んであったり、似た唄を使って気持ちをうまくかぶせて表現しているからもあるでしょう。
遅桜まだ蕾なり~
寺子屋帰りの娘が道草をしながら帰路につく場面。
春の景色を感じさせる唄と共に花道で踊ります。
三味線合いの手 蝶々の場面
三味線の合いの手より本舞台にて草紙を使って蝶々を捕まえようとする踊りへと変わります。
子供らしく無邪気に蝶々を追う姿はなんとも可愛らしいものですね。
肩縫い上げのしどけなく~
クドキと言われる踊りにかわります。
ココがポイント
懐紙をコヨリにして縁結びを表現。
少女の素直な恋心を踊りとしています。初恋の初々しさや恋に対するあこがれなど現代の少女が抱く気持ちと重なる部分があると思います。
踊りとして素直な恋心の表現がとても重要な場面となるので、やりすぎず少女らしく踊って欲しいですね。
少女はこうして恋を経験して大人になっていくのでしょう。
恋のいろはにほの字を書いて~
マリ唄と呼ばれる場面。
桜の花びらを拾ってマリを作ります。
道成寺でも同じような場面があるため、非常にリズミカルで少女の無邪気さが目立つ踊りとなっています。
夫の為とて天神様へ願掛けて~
手踊りで踊り地へと変わります。
長唄ならではの後半につれてテンポが速くなってくるので踊りがリズミカルで見ごたえがあります。
『天神様へ願掛けて』とあるように『今後、梅を食べないから願いをかなえてほしい』と天神様へお願いしています。
なんとも少女らしいお願いの仕方に微笑んでしまいますね。
諸鳥の囀り~
寺子屋からの帰り道ということで、最初と同じく傘と草紙を手に取りチラシとなります。
『眺め尽きせぬ春景色』とあるように、春を感じさせる演目ですね。
手習子(てならいこ)まとめ
踊りの振りももちろん大切ですが、この曲を通して芝居心の大切さを学ぶ演目となっています。
この曲が終われば、『汐汲(しおくみ)』や『藤娘(ふじむすめ)』などにステップアップしていくことになるため、ここでしっかりと芝居の基礎をきっちり学んでほしいと思います。
しかし年頃の子供が演じる場合はそのままで表現できると思いますので、逆に余計なことをしないように注意したいですね。
いずれにせよ『手習子(てならいこ)』は少女から大人へと成長の架け橋になる作品です。
一生懸命にお稽古を続けていきましょう!
それではまた!